うつ病全般 Archive
うつ病の診断
- 2008年4月 3日 15:32
- うつ病全般
うつ病という病気が広く一般に浸透し、「もしかして自分はうつ病かも?」と感じ、早期受診、早期治療を受ける人が増えたのは喜ばしいことだと思う。ただ、この「もしかして自分はうつ病かも」が「自分はうつ病だ」に自己判断で変わってしまっている人も少なくないのではないかと思う。
例えばインターネットにある、うつ病チェック。(どッかの誰かが以前作ったサイトにもあるわけだけれども) これは早期受診につながるという意味ではとても有効かもしれないが、検索エンジンで「うつ病 チェック」と検索する方のどれだけの人が客観的に利用できるのかという疑問が残る。
周囲に協力を頼める友人がいる人がいる方は是非お願いしてみて欲しいのだけど、健康な人にあれをやってもらってもかなりの確立で「うつ病の疑いがあります、一度病院に行ってみましょう」的なコメントが表示されるはずである。また、うつ病心の支え.ねっとにも掲載してあるアメリカ精神医学会(APA)が発行する精神疾患の診断・統計マニュアル-DSM-IV(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorder IV)-はあくまで医師の指針とするために作成されたものであり、非専門家の利用を禁止している。
ーうつ病になりたい!?ー
1年という短い間だけれども、私がサイトをずーっと見てきて感じる違和感がある。上手く言えないのだけれども、うつ病と診断される事を望んでいるのかな、ということ。うつ病だと診断された時の反応として、、①特に何も感じない ②ショックを受ける ③安心する の3個の可能性があると思うのだけど、③の安心するという人も少なくはないんじゃないかと。これがこの病気の不思議なところというか、変なところというか。例えば他の病気、癌や心臓疾患なんかを告知されて安心するという人はほとんどいないのではないかと思う。
とは言うものの、その気持ちが理解出来ないという訳ではない。うつ病がメジャーな病気となったとは言え、精神科の門を叩くのと内科にかかるのはやはり違う。何らかの問題、睡眠障害や不定愁訴、億劫感や意欲の減退等があって、それを治したいという気持ちで病院にいくわけだから、その原因をはっきりとしたいという気持ちは強く働いて当然である。
ただしうつ病でも他の精神疾患でもなく、怠けや社会的引きこもりと医師に言われてしまった場合、少なくとも私が見てきた中では「病院で酷いことを言われた」「あの医師は信頼できない」といった非難の感情・傷ついたという訴えになる場合がほぼ100%だった。
まぁ、何らかの問題があって病院に行っているわけだから「怠け」の一言で片付けられるのは確かに不愉快ではある。それを受け入れられる状態であればそれも的確な診断の一つなのでしょう。例えば今の私が「やる気が出なくて色々困ったことになった」と精神科に行ったとして「うつ病」だと診断しようものなら笑うしかない。私のは「怠け」である。ただし、社会的ひきこもりなどと告げられて医師を非難しているのを見ると何とも言えない気分になる。
社会的引きこもりはうつ病の症状と似ている部分が多々あり、間違われやすい病気の一つだといわれているが、その治療方法が違う以上医師の判断を素直に聞き入れる必要があると思っている。ここで感じることは社会的ひきこもりと告げられたとして、なぜそれが非難へとつながってしまうのかということ。やはりその背景には、「うつ病かもしれない」が「たぶんうつ病だろう」という思いに変わってしまっていて、様々な症状の原因を医師にうつ病と認めて欲しいという心理的変化があるように思えてならない。
これもサイトを見てきた限定的意見だが、次の流れとしては「あの先生にはひどいことを言われたので違う病院にいってみよう。行ってみたらどう?」的な流れである。これはある意味正解なのかもしれない。本人が酷いことを言われたと感じてしまった時点でその先生との信頼関係は成り立つはずもなく、他の医療機関を探したほうが懸命である。ただし、本当はここでセカンドオピニオンを利用してほしい(どーでもいいけど、オピニオンじゃなくてオピニョンだろといいたいw)。
さてさてこのセカンドオピニオン、間違っても自分で勝手に他の医療機関・医師に見てもらうことではないので注意して欲しい。セカンドオピニオンとは日本語訳すると、第二の意見といったところだろうが、第二の診察ではない。つまり主治医以外の医師に意見を求めることであり、その上で適切な治療を受けることを目的としている。具体的には主治医に紹介状を書いてもらう必要があるのだけど、この紹介状は正式には診療情報提供書と呼ばれ、症状や治療経過等が記載されている。新患として新しい病院を探した場合、まさしくゼロからのスタートである。また医師としても、自分以外の医師がどのような診断をおこなっていて、これまでにどのような治療をしてきたのかがわかるほうが、他の医師の意見を踏まえた上で自身の意見を言える、より的確な指針を作成することが出来るのである。
もしも自身がうつ病かもしれないと思っている方。その気持ちはそこで止めておいて下さい。いくらうつ病チェック等で可能性があると言われたとしても、それはあくまでも病院へ行く機会を与えてくれるものであり、その診断をしてくれるものではありません。そして、うつ病なんかならないほうが、うつ病ではないほうが何倍もマシだという事を忘れないで下さい。
医師に酷いことを言われたと感じたことのある方。気持ちに余裕のある時に軽い気持ちで考えて見てください。医師はなぜそのようなことを言ったのか、決して貴方を傷つける為にいったのではありません。医師の使命は最善の治療を行う事であり、貴方の希望する診断をしてくれる人ではないのです。そしてドクターショッピング。医師との相性はもちろんありますし、どうしても合わない事もあるかと思います。そんな時は出来るだけ紹介状を書いてもらいましょう。よりより治療を受けるために他の医療機関を探すのですから、紹介状があったほうがよりベターでしょう。
最後に。私個人として病名にこだわる必要はないと思っています。そもそも、医師が口頭で告げた病名や分類名は必ずしも本当のことではないという事を頭の隅にでも置いておいてくれればと思います。例えば妄想症の人に対して、「貴方の考えは全て妄想だ」と直接告げる事が治療するにあたり最善かと言えばそうではないでしょう。他の病気に関しても、本来とは違う適応障害や不安障害といった当たり障りのない病名を告げられていて、診断書を書いてもらった際に本当の病名を知ったという人も多いのではないかと思います。
大切なことは診断ではなく治療。その為には医師の指導に素直に耳を傾けること、そして一緒になって自身を悩ませる症状を乗り越えていくことなのではないでしょうか。
うつ病を克服した人の立場
- 2008年2月 8日 13:32
- うつ病全般
このサイトに限らず、アルコール中毒患者さん等の実際のセルフヘルプグループで問題になるのが克服者という立場の人たち。何故なら同じ経験をしていてもその時点では悩みや苦しみを真に分かち合うことが出来ないから。克服したと感じた瞬間に溝が出来てしまう。
今回はというか、うつ病以外のことは考えることが出来ないから、うつ病を克服した人としての立場について考えてみる。
こんなうつ病克服者は敬遠される
柔らかく言えば敬遠、はっきり言えば嫌われるってことだね。
うつ病を克服・乗り越えるまでには本当に色々な経験されてるのだろうと思うし、本当にそれぞれの克服の仕方や様々だろうと思う。ただ中には、うつ病を経験したが故に、うつ病に悩む人を更に苦しめてしまう場合もあるのではないかと思う。それは辛い経験をした分、同じような悩みを持つ人の助けに成りたいと思ってしまうこと。そのこと自体はとても素敵なことだし、あのサイトの設立動機の大きなひとつであることも間違いない。ただ、ちょっと問題ありなこともちらほら見受けられるようで、そのことについてちょっくら書きます。
うつ病は気持ちの問題だからキミも大丈夫!(持論押し付け)
うつ病が気持ちの問題だというのはある意味では正解なのかもしれない。でもそれはうつ病から開放されて、振り返って見たときに初めて気付けること。自分自身の経験を現在悩んでいる人にお話しされるのはいいことだと思うんだけど、それは絶対的に正しいものではなくあくまで可能性の一つとして話したほうがいいんじゃないかなぁと。「こうすればうつ病は治る!」なんてものはないよ、たぶん。
可能性の一つとして意識しながら話すと、聞いている側にとっても聞きやすいかもしれない。「私はこうやってこの病気を乗り越えた。あなたにもきっとあなたなりの方法で乗り越えることができるよ。ゆっくり一緒に探していければいいな」的なニュアンスで。
うつ病の事なんてすっかり忘れてルンルンルン♪
いや、忘れることが出来るのはいいことだと思う。但し辛い経験を忘れることと、相手の気持ちを察しようとしない事は話が違う。現在進行形でうつ病に悩む人とは別として、相手の身になって考えること、これはどんな場合でも大切なことでしょう。どんな事を言われると嫌か、どんな言葉を使ったほうがいいのかとワンテンポ余裕をもってみるといいかも。
うつ病に悩む人には自分が思ったことを言ってはいけないということはないけれど、思いやりと多少の配慮は必要なのかもしれません。
一般論で押し切り~
何をさして一般論というのかはわからない。ただアドバイスや助言が論理的過ぎると一般論として受け止められるかもしれない。例えばうつ病になると、その症状がもたらした新たな問題によって悩むことが少なくないと思う。私の場合だったら単位を全然取れないことで悩んでいたけれど、それに対する的確なアドバイスは「まずは学校に行こう。そしてきちんと授業と聞こう。毎日十分な時間の予習・復習の時間をとろう。」だろう。このアドバイスの通りにすれば単位はほぼ確実にとれる。
でも何か違う。確かに言ってることは正しく、そうすれば単位が取れないと言う悩みは消える。でもその根本は学校に行けないということなので、解決につながるアドバイスとは言いがたい。実際問題これは難しい。力になりたいという気持ちが先行しすぎると一般論に近づいていくのかもしれない。
うつ病を克服した人の悩み
克服した人の悩みなんて言ってるけど、ほかの人から聞いたわけではないのでこれは私の悩み。
べ、別に私の悩みを聞いて欲しいわけじゃないんだからねっ!!!!111
どこまで気持ちを理解することができるのか。
うつ病に悩む人といってもそれぞれの気持ちや考え方があるから真に理解することなんて出来ないとかそういう話じゃない。薬をのんでいる訳でもなく、うつの身体的・精神的症状に悩まされているわけではない私が、それら症状に悩まされている人と本当に共感できるのかということ。
まぁ掲示板にほとんど顔を出さなくなったのもこれが一つの原因なんだよね。私の書き込みが誰かに辛い思いをさせてしまうことがあるって知ってから。
サイトにいる人、もしくはサイトではない別のところにいるうつ病を乗り越えた人も同じように悩んでるんじゃないかなぁと思う。
はいごめーん。真面目に記事書こうとしたけどわからないや。でもまぁ上の方に書いてある事は全くハズレではないんじゃないかと。自分自身を含め、せっかくこの厄介な病気を乗り越えることが出来たのだから、うつ病に悩む人にかえって辛い思いをさせないようなささえ方を見つけていければと思う。”助けてあげたい”ではなく倒れてきたときのつっかえ棒のような存在がいいのかなぁと思う今日この頃。
メンヘラー・メンヘルの意味
- 2007年4月12日 20:33
- うつ病全般
メンヘラー・メンヘルとは何か?
注)この記事の中で"一般人"という言葉を利用していますが、あくまでうつ病を患ったことのない人の事をこの記事内限定で使用しているだけで、うつ病患者≠一般人という意味ではありません。またこの記事の内容は見る人によって不快に感じたり、更に落ち込んでしまうかもしれないのでうつの状態があまり良くない方は見ない事をお勧めします。
精神疾患を患った方のブログやその他ネットをしていると『メンヘラー』『メンヘル』という言葉をよく見かけます。この言葉の語源はメンタルヘルスと見て間違いないのですが、『メンヘル』『メンヘラー』という言葉の意味はひどく曖昧なもので、考える人によって異なっています。
【メンヘラーとは精神科、診療内科にかかっている人】
このように考えている人が大半かもしれません。もちろんそれ自体は何の問題もないのですが、メンヘラーという言葉には差別的・悪い意味が含まれているように感じられます。メンヘラという言葉にどのようなマイナスイメージが含まれているのか書き出してみます(あくまで管理人がネットを徘徊して感じた主観的なものです)
(1)意見を求めておきながら自分に都合の悪い意見は無視。そんなの聞きたくない。
(2)うつ病だと言えば全てが許されると思っている。
(3)自分がうつ病だという事に甘えている
(4)彼氏、彼女がいるのにうつ病?恋愛は出来るけど他の事はできない?
(5)自分の気持ちなんて誰もわかるはずないという対応をとる
(6)悪いのは自分ではなく周り
(7)死にたい、辛いという言葉を利用してただ構って欲しいだけ
(8)リストカットやODをした事を自慢げに話す
(9)恋愛依存の傾向がある
(10)自分語りは大好きだが他人の話には興味を示さない
だいたいこんなところでしょうか。おそらくこの様な意見を残した方々はうつ病やその他精神疾患に悩んだことのない人たちだと思われます。
(2):自分がうつ病であることにすがるしか逃げ道のないことだってあります。「うつ病だから・・・」と理由をつけなければ自分の全てを否定しなければならない状況に追い込まれてしまうかもしれません。生きるためにうつ病を理由にするのは全く悪い事ではありません。
(4):うつ病の程度によっては恋愛だってできます。うつ病になる前から付き合っている人もいるかもしれませんし、「恋愛」といっても正常な交際(不適切な表現かもしれませんがお許しください)は破綻している場合だってあります。
(7)(8):自分の言葉を聞いてもらうだけで心が楽になれるときだってあります。それはうつ病からくる悩みだろうが、仕事や恋愛、育児の悩み等、ほとんど全ての悩みでも同じ事でしょう。
(1)~(8)を見て不愉快になる方もいらっしゃるかもしれません。私から見てもこの病気を全く理解していない馬鹿馬鹿しい意見です。ではなぜ、メンヘラーにこれらの差別的な意味が含まれるようになったのか考えてみましょう。
【インターネットの普及と誤ったうつ病の浸透】
検索エンジンでうつ病を検索してみると、うつ病について扱っているサイト、自身のうつ病体験を綴ったブログ等、かなり沢山のホームページを見つけることができます。そのせいもあってか今や「うつ病」という言葉を知らないという人はほとんどいないでしょう。しかし「大うつ病」「抑鬱神経症」「抑うつ状態」といった言葉を知っている人は一般人の中にはあまりいないのではないだろうか。それは当然で、ガンになった事のない人がガンの進行状態によって様々な呼び名があること、新薬についての詳しい知識を知らないのと同じです。
ただし、中途半端なうつ病の浸透が誤ったうつ病の知識を広めてしまったのではないかと思います。
【プチうつ】
私にとって未だ謎の言葉です。ちょっとしたうつ病と言う意味なのでしょうが、この言葉が使われる場合大半は第三者に向けられるものでしょう。「今日はプチうつだったから~」と。この言葉に代表されるように、本来ならばうつ病ではなく抑うつ状態、気分が落ち込んだ状態の人が「うつ」という言葉を安易に使用してしまい、更に悪いことにその後に言い訳が続いてしまう。その結果「うつ病=甘え」の構図が更に広まってしまうのではないか。
【今日は鬱レベル2だから・・・】
これは実際に他のサイトの掲示板で見かけた書き込みです。うつ病には確実に波があり気分のいい時も存在しますが私から見ても「鬱レベル2って何?」です。
いろいろなサイトや掲示板を見ていてどうしても印象に残るのが(1)の「意見を求めておきながら自分に都合の悪い意見は無視。そんなの聞きたくない」です。うつ病をテーマにしているサイトや掲示板なら100歩譲ってありなのかとも思いますが、全く関係のないサイトで(1)の状況をみるととても残念です。悩みを聞いて一生懸命考えたアドバイスや意見が、「あなたにはこの病気のつらさなんてわからない」の一言で片付けられたら普通の人はどう思うでしょう。
【私たちは隔離された世界で生きることは出来ない】
現状としてメンヘラという言葉の指す意味は単純に精神科や心療内科に通院している人ではなく、精神科、心療内科に通院していて、かつ(1)~(10)に当てはまる人、もしくは病院には行っていないが(1)~(10)に当てはまる人を指している気がします。googleでのメンヘラの検索結果を見てみると一般人がメンヘラをどのように思っているかわかりやすいかもしれません。はっきり言ってすでに定着した言葉の意味を変えていこうなんてことは不可能なのでこのサイト内では、メンヘラーを青色で書いた部分と定義し、メンヘラー≠精神疾患を患っている人とします。
さ て、ここで問題なのは(1)~(10)の内容はうつ病やその他精神疾患を患ったことのない一般人の馬鹿馬鹿しい意見に変りはないが、一般人とうつ病患者が全く別世界で生活することは不可能だという事です。(1)~(10)を見て悲しくなったり不愉快になる方もいるでしょう。まとめてみた私自身もいい気持ちはしません。
うつ病患者「理解がなさ過ぎる。もっと私たちの事を考えるべき」
「この病気はなったことのない人にはわからない」
一般人 「そう言われても事実なんだから仕方ない」
「もっと前向きに生きなさい。」
これでは何もかわりません。社会からの偏見、無理解は時間をかけて正していかなければなりません。ただしそれはうつ病に悩む方にも同様に言える事で社会からの理解、身近な人から理解を得るために変らなければいけないこともあるのではないでしょうか。
『歩み寄り』は片方の努力だけでは成り立たない。それが私の考えです。
自殺のコスト
- 2007年4月12日 20:27
- うつ病全般
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| 自殺のコスト |
うつ病に悩んでいる時、常に「生きる価値」について考えていた。
楽しいことは何も無い。自分がうつ病だという事を冷静に受け止めることなんて出来なくて、何も出来なくて、何もかもが辛いという今の状況が自分の中で真実となっていたから、「良くなる」なんて考えは皆無。それでも尚、生きている自分。「生きたいのに生きれない」そんな人がいるのに自分は生きている。何のために?わからない。
そんなときに探していた本が、あの有名な「完全自殺マニュアル」だった。一度目に「完全自殺マニュアル」をアマゾンで購入しようと思っていたときに買ったのが「完全失踪マニュアル」だったという事は手記の中で書いたが、やっぱり完全自殺マニュアルを購入しようと思ったとき一緒に購入したのが「自殺のコスト」という本だった。自殺のコスト
死んでから後悔しても遅すぎる......
『完全自殺マニュアル』が書かなかった自殺の損得勘定。
致死量のクスリ値段、自殺者遺族の年金額、電車飛び込み自殺の損害賠償額、自殺物件の下落率、自殺でもらえない生命保険の種類など、本当に自殺は得か損か?後悔だらけの人生で、死んでまで後悔したくない人のための「自殺の費用対効果」バイブル。
「生きていればいいことがある」とか「自殺はいけない」なんて、 自殺未遂ばかりしていた私は思いもしない。 ただ、「自殺」すらも厚生労働省なんかに経済効果として換算されてしまう「今、ここ」を生き延びて行くには、 さらに上を行く図太さを持っていたいと思うのだ。
いい時代に生きているとは思っていない。 この閉塞を生きる知恵が、私にとってはこの本である。皆さんにとってもそうなることを祈りつつ。
(著者コメント)
感想は微妙。本のジャケットが「完全自殺マニュアル」に似せている点で気付けばよかったのだが、二番煎じで売り上げ目的。そして個人的にこの手の本は好きじゃないというのもある。「自殺に失敗すると悲惨ですよ」「こんな自殺すると賠償金が半端ないですよ」「自殺じゃ保険金下りるとはかきぎりませんよ」と自殺の恐怖心を煽ることで抑止を目的としているようで。
この手の本が嫌いとは言ったもののその価値は認める。完全自殺マニュアルが多くの命を奪ったように、「自殺のコスト」や「完全失踪マニュアル」といったような本が、今も死にたいと常に思っている人の心のひっかかりになってくれれる事を切に祈る。
「死にたいけど死にたくない、だけど死にたい」と考えている人は一度読んでみてもいいかもしれません。
生きる事は苦痛。
でも、「死」は安くない。
自殺を考えるということ
- 2007年4月12日 20:21
- うつ病全般
自殺って一体何なんだろうと思う。自分が生きる事を自分の意思で辞める事と言ってしまえばそれでおわってしまうんだけど、今回はそういう意味ではなくて「自殺を考えるという事」について気持ちを整理してみようと思う。
ぜひ他の人の気持ちを聞いてみたいとおもうんだけど、私自身は「自殺を考えること」は泣きながらも心が落ち着いていて、インターネットで自殺方法や自殺場所を調べている間は現実の辛さから開放されている時間だった。
これってどういうことなんだろう。手首自傷症候群(リストカット症候群)に悩む人が自分自身の身体を傷つけることで気持ちを落ち着かせることがあるというのと似ているのかな。
もしも自殺を考えたり、企画したりすることが生きることに繋がるのであれば、大いに想像していいと思う。
「自殺はダメだ」
「自殺をしてはいけない」
確かにその通りだと私も思う。だけど、そんな言葉では自殺を抑止することは出来ないよね。だからといって誰かの自殺を止めることが出来る言葉なんて思い浮かばないんだけどね。
「死ぬ気で頑張れば何でも出来る」
コレは私の嫌いな言葉。死ぬ気で頑張ればって・・・。そりゃあ、死ぬことよりも生きることがいいって思っている人間からすれば、死ぬ気で頑張れば何でも出来るだろうよ。でも生きることよりも死ぬことを望んでいる人間には何の意味も成さない言葉だよね。
だから私は「死を背負って」生きていこうと思う。この掲示板で偉そうな事を言っている時もあるけど、なかなかへこたれそうになる時もあるです。そんなときは「いざとなったら死のう、でも今はその時じゃない。もう少し頑張って生きてみよう」って。そうやってだらだら生きていったっていいじゃない。
かっこよく言えば背水の陣。カッコ悪く言えばなんだろw
死を背にした人間は強い。
「うつ病患者なめんなよ」ってな感じでもう少し生きてみよう。きっと、これからも心安らかな日々が待っていると信じて。人目さえまったく気にならなければなぁ。。。。
自殺系サイト
- 2007年4月12日 20:18
- うつ病全般
どっかで書いたような書いていないような気がする自殺系サイトについて。
このサイトを訪れてくれている人の中には自殺系サイトと呼ばれるところを訪問したことのある人も多いと思う。私自身もうつ病で落ちまくっていたときは自殺系に頻繁にアクセスしていた。
メディアでは「ネットで出会った男女が集団自殺」との記事なんかで批判されていた自殺系サイトだけど私は自殺系サイトの意義を肯定したい。そもそも自殺系サイトと呼ばれるものには2種類に分類できると思うんだよね。
まず一つはメディアで批判の対象となったタイプの自殺系サイト。直接電話番号が掲載されていたり、一緒に死ぬ仲間を探すことだけを目的としているもの。そういう自殺系サイトは探そうと思ってもなかなか見つからないんだけど、「自殺」から少し離れたキーワードで検索すると見つけることができる。
過去ログを見ることが出来ないからわからないんだけど、そのサイトの本来の目的は集団自殺の仲間を集めるためのものじゃないきがするんだけど、なぜか管理人が不在&管理会社に通報されているみたいだけどウェブスペースが削除されていない。
第一のタイプの自殺系サイトは早急に閉鎖されなければいけないと思う。
もう一つの自殺系サイトはここのホームページと似たような(いや、ここのホームページが似せているのかw)タイプのもの。死に直面しようとしているもの同士が、その心の内を語り合う場所。
そういうサイトは大体管理人さんが放置することなく運営されているし、同じような仲間と話を出来る場所は必要だと思う。生きるために自殺系サイトと呼ばれるホームページに行く。私は自殺系サイトが生きるための最後の砦だとおもっている。
ただねぇ、どうしてサイト全体のイメージが暗かったり、悲しい音楽がながれてくるんだろう。その方がアンダーグラウンドなサイトに見えるから?そのほうが自殺を連想させて、閲覧者が安心するから?どうなんだろう。
私は他のサイトを作る余裕がないから出来ないんだけどだれか「明るい自殺系サイト」を作ってくれないかなぁ。茶化している訳でも冗談で言っているわけでもなく、本当に生きるための最後の砦となれるようなさいとを。
[生きたい]と[死にたい]の検索回数
- 2007年4月12日 20:13
- うつ病全般
[生きたい]と検索する人と[死にたい]と検索する人は、少なからず今の状況を抜け出したいと思っている人だと思う。一ヶ月の間に[死にたい]と検索する人、[生きたい]と検索する人はどれくらいいるとおもいますか?
「死にたい」と検索された回数---20,882回
「生きたい」と検索された回数---831回
かなり差がある。
この違いはなんなんだろう。もちろんそれぞれがおかれた状況もあると思う。ことうつ病の話しに限った事を言えば、キモチが落ちている時に「生きたい」なんて考えられなかった。生きる事が辛くて死にたいと思っていたんだからね。
でも、今だから言えること。「死にたい」と思っていた理由は漠然とした不安や直面する辛さだったと思うけど、それは自分に縛られていたからで、今なら全て否定する事ができる。どこかで書こうと思うんだけど、「死ぬしかない」なんてことはない気がするしね。
死 に方を探すことも、もちろん大切。死について考えていると辛い現実を直視しないですむし、「死のう」と考えていると少なからず心が楽になる。奥の手なんて言うと言葉は悪いかもしれないけど、本当の最後、本当に最後になった時に残された手段があることは生きる上で必要なのかな。
だから、 いっぱい「死にたい」って検索していいと思う。「死にたい」「死に方」「自殺方法」。生きるために死を見つめよう。でも、死んではいけない。いっぱい検索して、心が落ち着いたら「生きたい」って検索しよう。もしかしたら今までと違った新しい生き方にめぐり合えるかもしれないから。
うつ病の月間検索回数
- 2007年4月12日 20:05
- うつ病全般
このサイトを訪問してくれている方も一度は検索エンジンに「うつ病」って検索されたことがあるかと思います。でも、実際に「うつ病」が一ヶ月の間にどれくらい検索されているか知っている人はあまりいないのではないでしょうか。
つーことで「うつ病」の検索回数やら、「うつ病」と検索した人の住むエリアを調べてみました。(googleとYahooのみ)
で、一ヶ月の間に「うつ病」と検索された回数は116124回(11万6千124回)でした。この数字を多いと考えるか少ないと考えるかは人によるでしょうけど、個人的には多いなぁと思う。
ん~、どうなんでしょう。2004年から2006年にかけて検索回数は減少しているものの、潜在的なうつ病に悩む人が減っているとは思えないんだよね。
ちなみに検索エンジンで「うつ病」と検索した人の多いエリアは
1位 seto(どこだろここは?)
2位 Yokosuka(横須賀)
3位 Yamaguti(山口)
4位 Nagasaki(長崎)
5位 toyota(豊田)
6位 Kizuki(わからない)
7位 Matsuyama(松山)
8位 Sapporo(札幌)
9位 Nerima(練馬)
10位 Sendai(仙台)
もしかしたら漢字の部分はまちがっているかもしれないです。毎月チェックしているわけじゃないんだけど、山口は常に上位に入っている気がしますね。どうしてだろう。。
意外と知られていない「うつ病」の検索回数のお話。
てな感じで今回はお終い。



